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時は明治三十一年
~1898年~
日本橋魚市…徳川家康が開いた江戸で
人々の食と食品流通を支えた魚市は300年にわたり栄えるが、大正12年(1923)関東大震災によって壊滅。
昭和10年(1935)その地を中央区・築地に移し、築地魚河岸(うおがし)として世界一の水産物取扱量を誇る日本を代表する市場へと成長しまた。
そして2018年、更なる進化を遂げるため
江東区・豊洲へと舞台を移します。
日本橋魚市繁栄図
明治三十一年。日本橋魚市の頃。
初代・福田茂助(ふくだもすけ)の手によって誕生した茂助だんご。
当時を知る人の話では「とても綺麗な屋台で売られていた」
といいます。
また、店を構えてからは立ち寄る客たちに「お茶でも」と言いながら湯飲みに入った酒をふるまっていたという話も残っています。
そんな「甘味」と「酒」をこよなく愛した茂助の作るだんごは
いつしか「茂助のだんご」と呼ばれるようになり「茂助だんご」という名が生まれました。
やがて茂助だんごは魚河岸名物として人気を博すようになり、
魚河岸の旦那衆の粋な手土産として好まれたということです。
建設中の築地市場
豊洲市場
初代:福田茂助
汁粉の器の顔をした茂助が酒をすすめる図は初代の人柄をよく表している。
(木版に描かれた絵の現物は築地でご覧いただけます)
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